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2008-09-18

オルフェの遺言

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神保町の古書店街の行き帰りに、近くの東京国立近代美術館に立ち寄ることがある。 話題の企画展を鑑賞しに行くわけではない。所蔵品として、いつも展示してある一枚の絵が気に入っているから。

上にそのポストカードを掲載したが、小学校の教科書等で、きっと誰もが見たことのある絵なのではないか。『エロシェンコ氏の像』というロシアの盲目の詩人を描いた油彩画で、大正時代の夭折の画家・中村彝の作品。

私も教科書の図版でこの絵に馴染んだのだが、憂愁に閉ざされた寡黙な表情は子供心にもひどく印象的。「行いは少なく、想いは満ちたり」といった内面的な風情が、教科書の頁をめくってこの絵にさしかかる度に、芸術的環境とは無縁に育った幼い私をも、厳粛な気持ちに導いてくれた。

後年、エロシェンコについていろいろ識るようになったが、ウクライナの民族楽器バラライカを片手に、当時流行した国際共通語エスペラントを駆使して世界中を放浪していたこの盲目の詩人は、大正デモクラシーのアイドル的存在だったらしい。

詩人はカレーライス発祥で有名な新宿中村屋に寄宿。たちまち日本語を習得して、各地を講演。美しい金髪の巻き毛とヨーロッパ風のアクセントの日本の言葉で語られた自由への希求は、知識人のみならず、婦女子の胸をときめかせ、熱狂的に迎えられた。講演の採録本の口絵として使われた上の肖像画を切り抜き、肌身離さず持ち歩く青年もいたらしい。ロシア、放浪の詩人、盲目といったキーワードに加え、典型とも言える芸術家的容姿が、浪漫的な大正の若者達の心を燃え上がらせ、理想、指針、憧れになったのかもしれない。

詩人の著作は、『エロシェンコ童話集』という偕成社から出ている児童向けの文庫本を以前に読んだだけだ。理想化肌の詩人の想念がストレートに出過ぎていて、子供ウケとは遠い内容だったが、こういう硬骨漢ぶりが大正という時代には魅力となって、一世を風靡したのに違いない。やがて、エロシェンコは日本政府によって国外追放となり、風のように上海、北京、印度を流離い、故国で没した。

話を『エロシェンコ氏の像』に戻すと、実物は縦横40cmくらいのとても小さな絵。ちょうど前にベンチが設えてあり、私はそこに座って眺めることにしている。〈大正のヒューマニズム〉というスペースの一角に飾られていて、たいてい誰もいない。大正のアイドルと私は、いつも森閑とした空間で対峙している。思い出したように、絵の中にいる詩人の心臓の鼓動が聞こえるのではと耳をすます。ムッとする人いきれの中、頭越しにフェルメールを眺めるより、私の性に合っているようだ。

値段だって、常設展だけなら入館料420円。八重洲のブリヂストン美術館に同じく常設されているルオーの『郊外のキリスト』、絵ではないが多摩動物公園のキリンと並ぶ、東京にあって、その気になればいつでも訪れることができる眼福の対象だ。

エロシェンコで思い出したが、八木義徳の短編小説に『ある酒詩人の死』がある。八木義徳といっても、今は知る人も少ないだろう。古書店の棚の片隅でひっそりと読み返されるのを待っている作家の一人だ。この短編に登場する酒で身体を壊して早世する編集者が、「高い額、うねりちぢれた豊かな頭髪、すこし突き出た頬骨、真っ直ぐに通った形のいい鼻梁、固く緊まった口元、やや青白い皮膚、そして顔全体に時おり影のように走る憂鬱な表情」の持ち主で、中村彝描く『エロシェンコ氏の像』にそっくりだという。多くの女性に愛され、たった一冊だけ詩集を遺して死んだ。

それは古ぼけた原稿用紙や破り取ったノートの切れ端、ビヤホールの紙ナプキン、飲み屋の割り箸の包み紙、誰かの名刺、宣伝ビラ、トイレットペーパー等の多種多彩な紙屑への殴り書きを改めて詩集として編纂したもので、小説は彼への鎮魂としてこの詩集から転載された一編の詩で終わっている。その詩は、実際にエロシェンコ似の男が書いたものなのか、すべてがフィクションで詩も八木義徳のオリジナルなのかは、定かではない。ただ、いかにもほろ酔いに身を浸した最中の感慨を伝える平明な詩興が、素朴で良い味を出している。

私のような中年男を快く酔わせてくれる映画にはなかなかめぐり合えない昨今、こんな酔眼の詩でも読んで無聊を慰めるしかなかろう。せっかくだから私のエロシェンコについての短文も、この詩の引用で終わらせよう。古書店で偶然『ある酒詩人の死』という小説に出くわさない限り、なかなか読む機会もないだろうから。

        安堵したいときには三時にそこへ行くのがいちばんいい
   三時でなければならない
   その前では遅い昼食をやっている連中がいたりするし
   そのあとでは夜を待てずに
   ここを始発にして飲み出すやつらがやってくるからだ
   だからそのあいまがちょうど三時

   だれにも知らせないで
   ぼくはもう長い間
   三時のこのビヤホオルを安住の地にしている
   時には幽かにピアノがぽろんぽろん鳴っていたり
   西洋人がじつにいい姿勢で黙然としていたり
   細君のお産を気にしながら 小さな男の子を相手に飲んでいる男がいたり
   そんな中休みをしているような客が
   天井の高い広々としたビヤホオルのあちこちにぽつんぽつんといるのだ

   この店に働いている人たちは
   不思議と客の顔に露骨な視線を当てることがない
   運ぶものを運ぶと
   隅々のがっしりした柱の傍に戻って静かに立っている
   そんな中でぼくは 豊まんな体つきの
   農婦たちがおおらかに穫り入れをしている壁画を飽きもせずにながめる
   まったく だれにも遠慮しなくていいのだ
   だれもぼくのことをみていやしないし
   それでいて
   片手さえ上げれば柱の傍からいつでも用件をききにきてくれるのだ

   ほんとうに
   こんなに安堵できるところなんて
   めったにあるものじゃない
   午後の三時 この場所はだれにも
     決して教えてやらない

   ――遠くのほうから みるともなしに
   静かに見守られているというのはいいものだ
   元気になってぼくは
   ようやく黄昏はじめる街へ出て行くのだ

2008-08-24

今日はイベントさ!

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今日は『デトロイト・メタル・シティ』主演の松山ケンイチさんらによる舞台挨拶がありました。

スタッフ一同もカツラとポロシャツ着用で、根岸くん化して勤務中。

私は最後まで軟弱な根岸コスプレを拒否。

だって、顔面を白く塗って、マントを翻した威厳あるクラウザー様になりきってロビーを闊歩したかったから。

誰か察してくれて、勧めて欲しかったのに・・・。

2008-08-16

一昨日はイベントさ!

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テレビはオリンピックばかり。私のようなスポーツsoccerよりスイーツcakeを好む者には、つらい日々。

先日、上映中の『テネイシャスD』のトークイベントが行われた。ゲストはお笑いコンビのブラックマヨネーズ。

映画の“運命のピック”と“オリンピック”を引っ掛けて、特製の金メダルをお二方に贈呈。ちなみに上の写真で、メダルを授与している後姿は私です。

オリンピック中継の狭間で、あちこちのワイドショーで放送されたようですが、お気づきでしょうか?

『テネイシャスD』は今月22日まで。キュートな下ネタ満載の楽しい映画です。

お早めにnote

2008-07-10

ドリーマーズ

スタッフが『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか(講談社刊)という長いタイトルの本を貸してくれた。お金は貸すのも借りるのもつらいが、本の貸し借りは好むところ。職場たる映画館を題材にした本はなおさら。嬉しかったので当欄に書いてみた。

この本を知ったのは、ちょっと前の新聞の書評。さっそくホームタウン青梅の図書館のサイトを検索したら貸し出し中で、それっきり忘れていたもの。書評の印象から、バリバリかつゴリゴリの地方実業家の一代記と思い込んでいたが、読んでみたら大間違い。酒田の町の伝説の男、佐藤久一は周囲に対して「透明な膜」を身にまとった、繊細で夢みるような長身白皙のメガネ美男。二十歳の誕生日に家業の映画館の支配人となった久一は、時代を先取りした発想を続々と生み出し、夢の城造りに邁進してゆく。

その発想力の凄さは、役場にも銀行にも冷房設備のない昭和20年代に、井戸の冷気を天井裏に汲み上げ、送風機でシャワーのように場内に流したことからもわかる。館内の快適さを徹底的に追求する姿勢は「今日のシネマコンプレックスの魁」で、かの映画評論家の淀川長冶まで、地方都市酒田にある久一の映画館こそ「世界一」だと太鼓判を押した。

ここまでなら「フーン、エラい人ね」で終わってしまうが、佐藤久一の生涯が一巻の物語となる所以は、客として訪れた美女と恋に落ち、手塩にかけた映画館も糟糠の妻のいる家庭も投げ捨てて、東京へ出奔してしまうという予定調和のないところ。その後、当時の最先端の文化ホールである日生劇場に就職。いろいろあって食堂部門に左遷されるが、災い転じて料理の面白さに開眼。再び郷里酒田に戻った久一は、フランス料理店を開業。採算を度外視してまで素材にこだわり抜き、食通として著名な作家、開高健をして「日本一のフランス料理店」と言わしめるまでに至る。

やはりここまでなら「フーン、エラい人ね」で終わってしまうが、この本の最大の魅力は光だけでなく、晩年の久一の失速という影の部分もしっかり採り上げている点にある。久一の金銭感覚の欠如が招いた数億円の累積赤字。さらに経営から離れたとはいえ、かつての夢の城である映画館の出火から引き起こされた歴史に残る惨事、酒田の大火。ついにアル中となり、周囲からも孤立。優秀なコック、接客スタッフ達も続々と離反してゆき、「私は何も成しとげられなかった。夢を見続けているだけなんだ」と呟きながら終焉の時を迎える姿はあまりにも痛ましく、涙なしには読めない。

ちなみに同じ映画業界から飲食店経営というルートで成功した人物の回顧譚に『上海シネマと銀座カライライス物語-波瀾万丈、柳田嘉兵衛の80年-』がある。銀座にあるカレーの名店として、今でもテレビや雑誌へ頻繁に登場するニューキャッスル店主の一代記。戦前に浅草六区の映写技師からスタート。上海に渡って映画館支配人となり、さらに巡回映写で中国各地を転々。戦後、命からがら引き揚げてきてからは、銀座でカレーライスの店を開いて成功。激動の昭和をバイタリティで生き延びた男の物語だ。その主人公、柳田嘉兵衛を陽とするなら、佐藤久一は陰。対照的ながら、世間体やしがらみに囚われることなく、興が湧くまま奔放に生きたところが共通している。どちらの本も読後、「どうせ一度限りの人生さ。思う存分やってみよう!」という気持ちになれること請け合い。

ついでながら映画館関連本としてオススメの本を2冊。まずは居酒屋探訪著書で名高い太田和彦の『黄金座の物語』。1週間に1日だけ開く、古き良き日本映画専門館を巡るレトロ風味満載のお話。次にロジェ・グルニエ著『シネロマン』。フランスの田舎町で映画館マジック・パレスを営む一家の悲喜こもごものお話。どちらも映画&映画館好きの琴線に触れるはず。この2冊、久々に読み返したかったが、誰かに貸したままになっていて、今は手元にない。

2008-06-17

今夜はイベントさ! その2

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増殖中です・・・。

今夜はイベントさ! その1

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ただ今、公開中『アフタースクール』大ヒット御礼舞台挨拶の真っ最中。

主演の大泉洋さんからスイカの差し入れがnote

いい方ですsign03

2008-06-13

ぼくの大切なともだち その2

ちなみに、かさばる1000%ベアブリックを自宅へ持って帰ろうかとも考えたが、相容れなさそうな先客がいて・・・。

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愛用のぬりかべ座椅子↑

ぼくの大切なともだち その1

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8月公開の『デトロイト・メタル・シティ』の前売券が発売中。

特典としてミニサイズのベアブリックが付く。限定数だったので、もう終わってしまったが。

販促用に1000%サイズのベアブリックをもらった。もう表には出せないので、隣のデスクに座らせた。

なかなかキュートheart04

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スタッフがパソコンを使う際はおヒザの上に↑

2008-06-08

孤独に関する短いフィルム

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雨の休日。千駄ヶ谷にある民音の音楽博物館へ出向いた。

ここにはライブラリーがあって、音楽書や楽譜の閲覧、音源の視聴ができる。高校生の頃、学校をサボって潜り込むところと言えば、図書館、映画館、美術館、そしてこの資料館だった。当時は大久保にあって、電車賃に充てられるだけの小遣い銭があれば、真っ先に出かけた。

あの頃の私は、肉体的にも精神的にも脆弱な腺病質の少年で、病を得ては入退院を繰り返し、集団生活にも耐えられなかった。僅かな慰めは病床に持ち込んだ本と画集、ズタズタに短縮された昼のテレビ映画、そしてラジオから流れるクラシック音楽だけだった。

昭和50年代初頭、NHKFMはクラシック音楽の放送に今より大きな時間を割いていたが、それでも所謂「名曲」に集中していた。ベートーヴェンのピアノソナタだけで32曲、ハイドンのシンフォニーに至っては104曲もある。あれこれ聴いてみたくても、高校生に買えるLPレコードは、月1枚が限度。このライブラリーはありがたい存在だった。ヘッドホンを耳に、レースのカーテン越しに揺れる葉影を見つめながら、遠い異国、遠い時代の様々な作曲家達の未知の調べに聴き入った。

何故、今になって再訪したかというと、あるピアニストのレーザーディスクを観てみたかったから。演出は先年に亡くなられた実相寺昭雄監督。生前、円谷プロのウルトラシリーズ等でカリスマ的な人気のあった実相寺監督は、クラシック音楽の世界にも造詣が深く、多数のオペラやコンサートの演出を手がけている。最晩年にはモーツァルトのオペラ『魔笛』に、ウルトラ怪獣の着ぐるみを登場させて話題に。ただ、亡くなったからといって、監督が関わったクラシック音楽のビデオやレーザーディスクまでDVD化されることは、まったく期待できない。クラシック音楽が人気のないジャンルであることは周知の事実。しかも、このレーザーディスクはアレクシス・ワイセンベルクという、今では忘れられたピアニストの演奏を収録したもの。再び日の目を見る可能性は皆無。タイトルは『私のショパン』

20年以上も前、このパリに住むブルガリア人ピアニストのレーザーディスクが発売された際、『レコード芸術』誌に、やはり故人となった評論家佐川吉男氏の寸評が掲載された。細部は忘れたが、ありきたりとしか思えないこのショパン名曲集に底流する「異邦人の孤独」を見事に看破し、その素晴らしさを連綿と綴っていた。とてもセンシティブな文章で、私の琴線に触れた。直ぐに買い求めて、観ておきたかったが、単なる経済的事情から再生機もソフトも入手が叶わず、今日まで心の片隅に放置してきた。

年齢のせいなのだろうか、最近、この記憶の片隅の放置物品が気にかかる。買いそびれた古本、観そびれた映画。探し出し、埃を払えば、美しい宝物かもしれない。ささやかな落ち穂拾いだ。

当時、ワイセンベルクは「カラヤンのピアニスト」として数々のコンチェルトの共演レコードで名声を博し、額こそ少々禿げ上がってはいたが、映画スター並の苦みばしったマスクでCMや『徹子の部屋』にまで出演。絵に描いたような人気者振りだったが、今はどうしているのだろう? バリバリの技巧派だったこともあり、加齢による指の衰えも早かったのかもしれない。

二枚目だったカラヤン同様、精神面を尊ぶ我が国の批評家連のウケは芳しくなく、音楽雑誌のピアニストへの格付けめいた座談会でも、「あれは大工」の一言で一蹴されていた。当時は意味するところが良くわからなかったが、後年、ワイセンベルクの録音に親しむにつれ、何となく理解できる。粒の整った硬質な美音と情緒を排した即物的な旋律の歌い回しが、音楽の骨格を剥き出しにして、建築物めいたものにしてしまうと言いたかったらしい。

批評家ウケが悪かったのは、花形指揮者との共演が多く、その作り出す音楽の枠にすっぽり収まってしまい、今ひとつ自己主張や個性がはっきりしなかったせいでもある。映画『シャイン』に使われて有名になったラフマニノフの3番のコンチェルトの第一楽章でも、バックのバーンスタイン指揮する粘液質の管弦楽のペースに同化して、ネチネチとスローに弾く。だが、終盤のカデンツァ(伴奏を伴わない即興的独奏部)のみ、駿馬が解き放たれたように猛スピードで鍵盤上を暴走する。歯切れの良さを通り越し、マシンガンでもぶっ放したような超絶的指回りだが、上滑りすることなく一音一音が鮮烈に鳴り響く。私にはこの解放の瞬間が快感で、時たまこの録音を聴く。ワイセンベルクを「ターミネーター」に例えた評論家もいたが、硬質な美音とメカニカルな技巧が醸し出すハードボイルドな魅力こそ、彼の音楽の真骨頂なのだろう。

ようやく観ることができた『私のショパン』において、実相寺監督はワイセンベルクのそのような音楽性を深く理解していた。1時間に満たない収録内容だが、19世紀の館、コンサートホール、パリの自宅でショパンの名曲を次々と弾いてゆく。ポピュラーだが、比較的ゆっくりとした、密やかでインティメートな曲調のものが選ばれており、ワイセンベルクは端然とクールな姿勢を終始崩さない。ショパンの男性的な構築的側面が強調されたような演奏。実相寺監督一流の技巧的アングルで、その姿を捉えてゆくのだが、途中、パリの風景が断片的に挿入される。灰色の空の下の街。雨に濡れた石畳。橋からセーヌ川を見つめるワイセンベルク。暗く侘しいショットの積み重ねから、ヘッセの言う「孤独者の音楽」が立ち上ってくる。甘くもなく夢見がちでもない大人の男のショパン。ここでのワイセンベルクは、実相寺監督が好んで使った俳優、故・岸田森の知的で硬質なイメージさえ想起させる。人気ピアニストによるショパン名曲集が、実相寺マジックの横溢する世界に変貌している。

ちなみに私見を述べると、実相寺昭雄監督は盛名のわりに、映画の分野では傑作を遺せなかったと思っている。特にATGで撮ったものなんて、どこが面白いのかわからない。当の脚本家の石堂淑朗氏も最新エッセー『偏屈老人の銀幕茫々』の中で、このことを踏まえた監督への追悼文を自嘲を込めて書いていた。

だが、脚本家のせいというより、実は資質の問題で、長編劇映画よりテレビの特撮番組やドキュメンタリー等の短編に向いていたのではないか。この『私のショパン』は晩年に撮った幾つかの短編オムニバス映画に比べても、遜色のない芸術作品だった。

観終えて、駅に向かう。ゴッホ展から出たら、上野の森がゴッホの絵に見えたという文章を国語の教科書で読んだ記憶があるが、雨の振りそぼる千駄ヶ谷駅周辺はパリには見えなかった。ロマンのかけらもない、ただ侘しいだけの灰色の街路。

駅の立ち食いスタンドでうどんをすすった。高校生の頃もやはり雨のホームで帰りの電車を待つ間、立ち食いうどんで身体を温め、空腹を満たしたことを思い出す。その時、考えていたことは、学校をサボってばかりの自分は、金を稼げる大人にはなれないだろうということ。本や映画、音楽にしか興味がなく、気の利いたことは何ひとつしゃべないので、女性の愛を得ることもないだろう。結果、家族を持てず、孤独のまま死んでゆくのだろう。だから、せめて「一間分の家賃と一日二食、駅のうどんを食べられるだけの給金を稼げれば良い」とも思った。

あれから何十年、駅のうどんがコンビニの弁当やサンドイッチになることはあっても、いつも雨のホームに独りで佇み続けている気がする。

2008-04-02

しあわせな孤独

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休日。世田谷文学館で開催中の『永井荷風のシングル・シンプルライフ』展へ行く。

この日は開館記念日ということで、入館無料。映画館という商売柄、休みづらい日曜日ではあったが、無料という抗し難い誘惑に負けた。

京王線の芦花公園駅で下車。冬の間、しばらく病床に臥せっていたせいもあって、通勤や近場へ映画を観に行くことを除き、外出するのは久々。もともと棒のように細かった脚は、更に退化して針金状態。春めいてきたので、せっせと歩き回って、萎えた脚を鍛えないと。

だが、この日は生憎と小雨混じりの寒空。せっかく咲き始めた桜の花びらも引っ込んでしまいそう。散歩日和には程遠かった。

荷風の『断腸亭日乗』は、私の枕頭の書。妻を娶らず、子供を持たず、敢えて独りで生きる悦びを綴ったこの日記には、同じく独身を通した小津安二郎監督を始め、熱狂的な愛読者が多い。同展には自筆の日記原本を始め、荷風のシンボルである下駄と蝙蝠傘の実物まで展示されていて、ファンとしては感涙にむせぶばかり。

見終えて、駅名の由来にもなっている蘆花恒春園立ち寄る。園内は春爛漫の花盛りというわけでもなく、寒さが身に染みる。ここは明治・大正の作家である徳富蘆花の住まいと庭だった場所。その随筆『自然と人生』の岩波文庫を、文学少年だった高校生の頃に表紙がボロボロになるまで読み込んだことを思い出した。遺品の並んだ展示館を覗いて、早々に引き返す。

そのまま帰るのもつまらないので、ネットの【芦花公園グルメ】からチョイスした店で昼食。アメリカ人で元フレンチのシェフが伊丹十三監督のラーメンウエスタン『タンポポ』に触発され、単身来日して開業した〈アイバンラーメン〉というところ。午後2時近かったが、長蛇の列。きっと評判の店なのだろう。

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昭和チックな商店街の入口というロケーションが良い↑

「並んでまで食べる気になれない」という言葉をよく聞くが、時間と気持ちの余裕があれば、並んで待つのも楽しいものだ。はたして荷風だったら、どうしただろうと考えてみる。若き日にアメリカとフランスで遊んだ彼のこと、持ち前の好奇心から並んででもここのラーメンを食べてみたのではないか。それに家族連れやカップルと一緒の列にいると、連帯感というか、不思議と世間とつながっているような暖かな気分になれる。孤独な散歩者として世間から遊離しがちだった荷風も、心和むひとときを求めて列に加わったのではないか。

30分以上も寒さに縮こまった揚句、ようやく食べることができたラーメンは、「亜米利加と仏蘭西の味がした」とだけ書いておく。

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〈塩全部のせラーメン〉で、千円也↑

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