孤独に関する短いフィルム
雨の休日。千駄ヶ谷にある民音の音楽博物館へ出向いた。
ここにはライブラリーがあって、音楽書や楽譜の閲覧、音源の視聴ができる。高校生の頃、学校をサボって潜り込むところと言えば、図書館、映画館、美術館、そしてこの資料館だった。当時は大久保にあって、電車賃に充てられるだけの小遣い銭があれば、真っ先に出かけた。
あの頃の私は、肉体的にも精神的にも脆弱な腺病質の少年で、病を得ては入退院を繰り返し、集団生活にも耐えられなかった。僅かな慰めは病床に持ち込んだ本と画集、ズタズタに短縮された昼のテレビ映画、そしてラジオから流れるクラシック音楽だけだった。
昭和50年代初頭、NHKFMはクラシック音楽の放送に今より大きな時間を割いていたが、それでも所謂「名曲」に集中していた。ベートーヴェンのピアノソナタだけで32曲、ハイドンのシンフォニーに至っては104曲もある。あれこれ聴いてみたくても、高校生に買えるLPレコードは、月1枚が限度。このライブラリーはありがたい存在だった。ヘッドホンを耳に、レースのカーテン越しに揺れる葉影を見つめながら、遠い異国、遠い時代の様々な作曲家達の未知の調べに聴き入った。
何故、今になって再訪したかというと、あるピアニストのレーザーディスクを観てみたかったから。演出は先年に亡くなられた実相寺昭雄監督。生前、円谷プロのウルトラシリーズ等でカリスマ的な人気のあった実相寺監督は、クラシック音楽の世界にも造詣が深く、多数のオペラやコンサートの演出を手がけている。最晩年にはモーツァルトのオペラ『魔笛』に、ウルトラ怪獣の着ぐるみを登場させて話題に。ただ、亡くなったからといって、監督が関わったクラシック音楽のビデオやレーザーディスクまでDVD化されることは、まったく期待できない。クラシック音楽が人気のないジャンルであることは周知の事実。しかも、このレーザーディスクはアレクシス・ワイセンベルクという、今では忘れられたピアニストの演奏を収録したもの。再び日の目を見る可能性は皆無。タイトルは『私のショパン』。
20年以上も前、このパリに住むブルガリア人ピアニストのレーザーディスクが発売された際、『レコード芸術』誌に、やはり故人となった評論家佐川吉男氏の寸評が掲載された。細部は忘れたが、ありきたりとしか思えないこのショパン名曲集に底流する「異邦人の孤独」を見事に看破し、その素晴らしさを連綿と綴っていた。とてもセンシティブな文章で、私の琴線に触れた。直ぐに買い求めて、観ておきたかったが、単なる経済的事情から再生機もソフトも入手が叶わず、今日まで心の片隅に放置してきた。
年齢のせいなのだろうか、最近、この記憶の片隅の放置物品が気にかかる。買いそびれた古本、観そびれた映画。探し出し、埃を払えば、美しい宝物かもしれない。ささやかな落ち穂拾いだ。
当時、ワイセンベルクは「カラヤンのピアニスト」として数々のコンチェルトの共演レコードで名声を博し、額こそ少々禿げ上がってはいたが、映画スター並の苦みばしったマスクでCMや『徹子の部屋』にまで出演。絵に描いたような人気者振りだったが、今はどうしているのだろう? バリバリの技巧派だったこともあり、加齢による指の衰えも早かったのかもしれない。
二枚目だったカラヤン同様、精神面を尊ぶ我が国の批評家連のウケは芳しくなく、音楽雑誌のピアニストへの格付けめいた座談会でも、「あれは大工」の一言で一蹴されていた。当時は意味するところが良くわからなかったが、後年、ワイセンベルクの録音に親しむにつれ、何となく理解できる。粒の整った硬質な美音と情緒を排した即物的な旋律の歌い回しが、音楽の骨格を剥き出しにして、建築物めいたものにしてしまうと言いたかったらしい。
批評家ウケが悪かったのは、花形指揮者との共演が多く、その作り出す音楽の枠にすっぽり収まってしまい、今ひとつ自己主張や個性がはっきりしなかったせいでもある。映画『シャイン』に使われて有名になったラフマニノフの3番のコンチェルトの第一楽章でも、バックのバーンスタイン指揮する粘液質の管弦楽のペースに同化して、ネチネチとスローに弾く。だが、終盤のカデンツァ(伴奏を伴わない即興的独奏部)のみ、駿馬が解き放たれたように猛スピードで鍵盤上を暴走する。歯切れの良さを通り越し、マシンガンでもぶっ放したような超絶的指回りだが、上滑りすることなく一音一音が鮮烈に鳴り響く。私にはこの解放の瞬間が快感で、時たまこの録音を聴く。ワイセンベルクを「ターミネーター」に例えた評論家もいたが、硬質な美音とメカニカルな技巧が醸し出すハードボイルドな魅力こそ、彼の音楽の真骨頂なのだろう。
ようやく観ることができた『私のショパン』において、実相寺監督はワイセンベルクのそのような音楽性を深く理解していた。1時間に満たない収録内容だが、19世紀の館、コンサートホール、パリの自宅でショパンの名曲を次々と弾いてゆく。ポピュラーだが、比較的ゆっくりとした、密やかでインティメートな曲調のものが選ばれており、ワイセンベルクは端然とクールな姿勢を終始崩さない。ショパンの男性的な構築的側面が強調されたような演奏。実相寺監督一流の技巧的アングルで、その姿を捉えてゆくのだが、途中、パリの風景が断片的に挿入される。灰色の空の下の街。雨に濡れた石畳。橋からセーヌ川を見つめるワイセンベルク。暗く侘しいショットの積み重ねから、ヘッセの言う「孤独者の音楽」が立ち上ってくる。甘くもなく夢見がちでもない大人の男のショパン。ここでのワイセンベルクは、実相寺監督が好んで使った俳優、故・岸田森の知的で硬質なイメージさえ想起させる。人気ピアニストによるショパン名曲集が、実相寺マジックの横溢する世界に変貌している。
ちなみに私見を述べると、実相寺昭雄監督は盛名のわりに、映画の分野では傑作を遺せなかったと思っている。特にATGで撮ったものなんて、どこが面白いのかわからない。当の脚本家の石堂淑朗氏も最新エッセー『偏屈老人の銀幕茫々』の中で、このことを踏まえた監督への追悼文を自嘲を込めて書いていた。
だが、脚本家のせいというより、実は資質の問題で、長編劇映画よりテレビの特撮番組やドキュメンタリー等の短編に向いていたのではないか。この『私のショパン』は晩年に撮った幾つかの短編オムニバス映画に比べても、遜色のない芸術作品だった。
観終えて、駅に向かう。ゴッホ展から出たら、上野の森がゴッホの絵に見えたという文章を国語の教科書で読んだ記憶があるが、雨の振りそぼる千駄ヶ谷駅周辺はパリには見えなかった。ロマンのかけらもない、ただ侘しいだけの灰色の街路。
駅の立ち食いスタンドでうどんをすすった。高校生の頃もやはり雨のホームで帰りの電車を待つ間、立ち食いうどんで身体を温め、空腹を満たしたことを思い出す。その時、考えていたことは、学校をサボってばかりの自分は、金を稼げる大人にはなれないだろうということ。本や映画、音楽にしか興味がなく、気の利いたことは何ひとつしゃべないので、女性の愛を得ることもないだろう。結果、家族を持てず、孤独のまま死んでゆくのだろう。だから、せめて「一間分の家賃と一日二食、駅のうどんを食べられるだけの給金を稼げれば良い」とも思った。
あれから何十年、駅のうどんがコンビニの弁当やサンドイッチになることはあっても、いつも雨のホームに独りで佇み続けている気がする。


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